ー ふるコネのプロジェクトにおいて、カルティブはどういう立場だったんですか?
- 池田
- 「ディレクターである鷹股さんを動きやすくする」というサポートが大きかったです。
予算の調整やJTB側の体制の交通整理、ちょっと特殊な調整も多かったです。事業企画から行っているという立場からブリッジの役割でした。基本設計以降の工程はほぼ鷹股さん。こちらはたまに判断の背中を押すぐらいでした。
- 鷹股
- ふるコネはシステムの規模もすごく大きかったし、調整することも多かったので一筋縄に行かなかったというのがあります。この体制で2020年の12月からふるコネのプロジェクトに着手し、翌年4月にphase1が完成。2024年まで運用していました。
それまでにあったWEBサイトをゼロに戻すところからはじめ、「安定した運用」を実現するためというのがphase1の課題でした。ローンチの後も、不安だよねっていう処理がシステム側にはあったので定期的にその改修にメスを入れていました。システムが安定してきたら次はWEB側、phase2やphase3はSEOチューニングやキーワード戦略などを行いました。phase4は今使っているフレームワークや、PHPのバージョンなどそういったものをしっかり保守する体制を作りましょうということで、システムのメンテナンスの最適化に注力しました。
その後、JTBさんのほうで企業版ふるさと納税の事業面の位置付けを再検討がはじまって、決済機能は外しましたが、それまではおなじチームで進めていました。
ー ふるコネのプロジェクトにおいて、一番大変だった時期ってどの時期でした?
- 鷹股
- 1つ目は、リリースです。時間的な拘束が多かったけど、やはりリリース直前は土日返上かつ、朝からずっとオンラインでつなぎっぱなしでした。何か仕様変更があったらすぐにできるような体制で、1週間ぐらいはそれに近い状態でエンジニアもその体制で開発に臨んでいて、「何を削って何を出すか」を現場で判断する連続が大変でした。
もう1つは、プロジェクトの後期、WEBサイトをどうしていこうか?続けてるのか、やめるのか?という議論です。ふるコネのビジョンがモチベーションになってたので精神的に少し辛かったです。持っている知識や経験をJTBさんのこのサイトでどこまでできるのかを試したというのはいい経験でした。
- 池田
- 一番最初にお二人に参画するかどうかを尋ねたときに、そうおっしゃってくださいました。「持っている知識をこのプロジェクトで試したい」と言っていただいて「声をかけてよかったな」と思いました。