インタビュー

株式会社 南部美人

伝統と革新による酒蔵の挑戦
地域から世界へ広がる日本酒文化

株式会社南部美人

1902年創業、岩手県二戸市にある酒蔵。国内外の日本酒愛好家から高い評価を受け、日本を代表する酒造メーカーとしての地位を確立し、世界的なブランドへと成長を続けている。平均年齢40歳の若手蔵人とともに、伝統の技と若き情熱を融合させ、手造りの技を継承しながらより高品質な酒造りを追求している。近年では、日本酒造りで培われた伝統を基盤に、新たな挑戦を積み重ねたウイスキー「積重ね」を発表し、その革新性にも注目が集まっている。

インタビュー:
株式会社南部美人
インタビュー: 株式会社南部美人 久慈浩介社長
株式会社カルティブ 池田

創業からの歩み。
地域に根ざした酒蔵が世界へと羽ばたくまで

− 南部美人の紹介をお願いします。

久慈
南部美人は1902年に私の曽祖父が創業した蔵になります。
曽祖父は二戸市の隣の一戸で醤油の蔵元をやっていて、そこの長男だったんですが、醤油屋さんを継げなかったんです。
なのでここで借地借家借金から酒蔵をスタートさせたというのが初まりです。曽祖父はものすごいのんべえだったらしく、30代で亡くなったそうですが、子供を5人持ちました。上の4人が女の子で、最後に生まれた息子が私の祖父になります。曽祖父が亡くなり、二代目は祖母が、三代目は祖父が継ぎました。こうして継承されている蔵が南部美人になります。

ー 南部美人はどう盛り上がっていったんですか?

久慈
二代目までは南部美人は二戸でしか展開していなかったんですが、祖父が二戸でしか販売していなかった南部美人を岩手中に広め「二戸の南部美人」を「岩手の南部美人」にしたんです。
そして父が東京に営業して、全国、北海道から沖縄まで展開する「日本の南部美人」にしてくれました。私は1996年に業務に関わりはじめ、97年に日本酒輸出協会を立ち上げ、海外戦略をスタートしました。
「盛り上がり」という意味では今が一番盛り上がってます。私が関わるようになった当時は従業員数は現在の1/3でした。

ー カルティブと知り合ったのはどういうきっかけだったんですか?

久慈
震災後に池田さんと知り合いました。当時池田さんはカルティブではありませんが、前職NTTドコモで社長直轄のチームで岩手の復興のお手伝いをしてくださっていました。その中でうちの蔵に来て、いろんな話をしていくうちに陸前高田地域の支援を一緒にすることになったんです。「北限のゆず」というゆず産業のプロジェクトです。そういった様々な支援のなかで南部美人も支援してくださったんです。
北限のゆずと南部美人の関わりは、震災前からあって、南部美人で無添加リキュールを作ろうとしたんです。そこでゆずを材料に使おうとしたのですが、岩手県内ではなかなか見つからなかった。けれど岩手県外のゆずも使いたくなかった中で、たまたま「陸前高田にゆずがある」という噂を聞いて訪問してみたんです。
これを使ってリキュール作りますという話を進めている中で、震災がおこりました。このまま進めるのは無理だなって諦めていたら、ゆず農家のみなさんもゆずの木も山の方は無事で、プロジェクトを継続することができたんです。
当時「岩手でゆず?」ってよく言われたんです。そうであれば「日本最北限のゆず」に付加価値をつけてブランドにしていきましょうという方針になった。それを助けてくれたのが池田さんたちです。
池田
現物がこちらです。南部美人と陸前高田の共同開発です。(下記画像参照:詳細はこちら
久慈
そこから「震災復興で岩手にきて産業の支援をしているんだったら、南部美人の事務局も支援してください」ということで、協議会の事務局のお仕事をお願いしました。
池田
立ち上げから携わってきました。
久慈
ゆず狩りってけっこう難しくて人手も必要なんです。でも池田さんの前職は大組織で社員数も多いので「人手はいっぱいいるでしょ!連れてきて!」って。
池田
実際、人手を連れてきてゆず狩りをやりました。ゆず狩りチームを組織して今でも毎年やっています。今は地元のNPOが中心になりました。
補足すると、当時私がいた組織では「震災における被災地の支援は大事だけど、被災地を支援する企業の支援も大事」という考えがありました。そのため、二戸などの内陸の企業支援をしていました。
当時、沿岸の被災地の被害は甚大でしたが、その被災地をいろいろな形で助けている企業の多くが内陸にあったんです。
久慈
みんなで「助けなきゃ」といって言うなれば無理して支援をしていて、支えるべく動いてくれていたんです。ありがたかったです。
池田
実際みんなが使命感で動かないといけない、死ぬか生きるかの世界、そういう時期でしたね。震災の支援はその会社を辞めて次の会社に行っても、個人的に行っていました。現在も続けています。
【参加報告】岩手県陸前高田市の「北限のゆず」を収穫支援
久慈
ずっと助けてもらっています。近くにいてくれる感じ。
池田
できることをやるという感じです。

信じることに重きを置いた経営とそれがもたらした成長

久慈
池田さんはすごいんですよ。私が社長になったのは2013年なんだけど、その当時言ったんです。「社長になったら酒造りを手放してください」って。
それまでやっていた製造計画からウェブサイトから全部、私が一番やりたいことを「やめろ」と。「社長のやる仕事じゃありませんから」と言われました。
「社長がやらなければいけない仕事がちゃんとある中、今やってる仕事は社長の仕事じゃない。任せるようにならなければ、会社が大きくならない」と言いましたよね。
製造計画を自分の手から離すって想像できなかったんだけど、それをやらせた人が池田さんです。
池田
でも、その効果でみんなが責任をもってやるようになりました。
あと、ネットでのブランディングとマーケティングもちゃんと立ち上げなければいけない、そしてそれは「社長ではなく、社員がやらなきゃいけない」と言いました。
久慈
そして池田さんがそれらを全部指揮しているわけです。ゼロから始めたSNSのフォロワーも2万になりました。すごい大変ですが、その助言あってこそです。
でも、そう言われなければ自分は多分できなかったですね。今だに製造計画を書いて「こうしなきゃいけない、ああしなきゃいけない」と時間を使っていたと思います。

ー 池田さんの声に耳を傾けようと思ったのはなぜですか?

久慈
信じているからです。他にないです。
池田
浩介さんのすごいところは、信じると決めたら信じ続ける点にあるんです。だから、逆にその信頼に応えたい、応えなきゃってなるんです。
久慈
そんな性分だからたまに騙されることなんかもある。
池田
それでも、ダメと判断できるとこまでとことん信じたいのが浩介さんなんです。
久慈
疑いばっかりの人生を生きるんだったら、信じて騙された方がいいし、自分は信じたいってなるんです。
池田
その点は結構共通していると思っています。まず信頼して、任せて、任せて、任せて、ダメだったらしょうがないって。
久慈
結局、酒造りを手放すよう言っていただいたから、私は「社長はこうなんだ」って自覚し動くこともできました。
池田
南部美人が他の蔵とは違う光り方をしているのはやはり「無駄なものをそいだから」だと思います。社員ができることを社員が責任感を持ってしっかりやってる。浩介さんが作った計画は否定できないから「やるしかない」ってなるんですが、自分が作ったものは自分たちの責任の中でやるしかないから成長する。
久慈
結果、林みたいな天才杜氏が現れました。杜氏の成績はコンテストなどの評価に出るんですが、あんな何も知らない若者がありえないくらい成績を残しまくっているんです。
池田
彼はすごいです。杜氏になる前から本当にいい。でも、浩介さんが「任せる」ということができたからこそ光ったんだとも思います。
久慈
オンラインショップをやるときもそうでした。自分は「やる」と決断したから強気だったんですが、営業陣は不安そうでした。酒蔵ってメーカーだから商品を作ることに特化していて、販売は別の人の役割だと考えていたんです。
直接お客さんに販売するということに抵抗があったのかもしれませんね。震災の時も、コロナの時も、供給ルートがダメになったら終わりなんです。だから、全部じゃないにしても自分で売る力をある程度つけないといけなかった。そこで池田さんと意見が一致したので、社内のいろんな反対を乗り越えながら実行に移すことができました。
池田
紆余曲折はありましたが、結果オンラインショップやSNSで発信する力を社内に作ることができたと思います。もう一つ、値上げの提案もみんなに反対されたことを覚えています。
「値上げしたら売れなくなるんじゃないか」って言われました。
久慈
我々の業界は、値上げがやりづらいんですよね。でも、上げるべき時には上げないとダメなんです。特別純米なんか相当価格は上がったのですが相変わらず売れる。
池田
みんな最初はなかなか言えないから、外の人として「絶対やった方がいい。これやらないといけない」って何回も言い続けて。成功したら利益が残るだけで影響ないことが分かる。けれど、一番最初はつらい。
久慈
先代の父に「お前が一番最初に値上げして、業界からいじめられる必要ないだろう」と言われました。けど、本当にやってよかった、今は業界的にも普通になりましたけど、当時は本当に逆風でした。
池田
海外の販路も売上げが低いところは価格を上げることにしたんです。
久慈
懐かしいですね。ああ言ってくれたことも、助かりました。

「南部美人が一番」
カルティブにはそう言われ続けたい。

ー 池田さん以外のカルティブのメンバーは関わっていますか?

久慈
河田さんが発信業務、ホームページやSNSの運用を担当してくれています。ほんと皆さん頑張ってくれてるけど、「変えるべきところは変えよう」って話ができる関係なんですよね。池田さんとの経営会議は毎月やってます。最近はオンラインが多くなってしまったけど、コロナ以前は毎月ここまで来ていただいていました。
池田
やはり直接来た方がいろんな話ができますね。私も頭がリフレッシュします。さっきまで会議があったのですが、今日は改めて浩介さんの目線はいいなと再確認しました。
春の販売の話をしていたんですが、どうしても「他社はどうやってる」「他社はどう考えてる」っていう悪いわけじゃないけどそういう意見が出るんですよね。でも浩介さんだけ「買いたい人に売ればいい」「買った人が幸せになる提供の仕方が必要だろう」って。当たり前の話を当たり前にしているんですが、素晴らしいなと感じて笑ってしまいました。
その浩介さんの姿勢が南部美人の素晴らしさを語ってるなと感じます。この視座の高さが現場を変えていくものと信じています。

ー カルティブのメンバーの印象を教えてください。

久慈
池田さんは数字に強いし、こうあらなければいけないところも言ってくれる。「浩介さんの言っていることは正しい」って真っ正面から肯定してくれるのがうれしかったです。
もちろん仲間は自分の方針を肯定してくれるんだけど、池田さんはなんというか「真っ正面から」の肯定なんですよ。
私が思ってることって必ずしも会社の利益になるわけじゃないんですが、「それは社会的貢献の観念もあるから正しいんですよ」ってことを言ってくれるし、それで気持ちがひとつラクになる。知らないことをいろいろ伝えてくれるという意味でも、すごくありがたいです。
河田さんは、池田さんや自分にない人間味があります。それがすごく面白くて好きなんですよね。

ー カルティブから見た南部美人の印象をおしえてください。

池田
南部美人は浩介さんを体現していて、今年も浩介さんは世界各国をまわっています。また、コロナで関係がなくなったところを修復しようって、私が何も言わなくてもそのように行動をしているんです。その結果、海外の営業担当が自身の役割を理解して「認知拡大や販売拡大をどうするか」というアクションにつながる。浩介さんが最初に動いて一歩も二歩も先にいって自由にやっているんです。それが南部美人のすごいところ。
それができているからこそ、日本を代表するブランドだと思うんです。だからこそ、今何か足らないものがあればいつでも助けたいという考えで私はいます。

例えば「日本酒だけではなく、ジャパニーズウイスキーを売ろう」っていう視座は、現場からは生まれづらいと思うんです。浩介さんの顧客目線や他の視点があってこその考えなんですよね。南部美人の価値を維持するための売り方というのをしっかり考えているから、さすがだなと思ってますし、どうなっていくのか期待してしまいます。

久慈
我々が我々の力で売るのには限界があるんです。限られている世界の中でしか売れていかない。けれど、池田さん、ないしはカルティブが持ってるネットワークやリソースにささえていただければ、我々がこれまで売ってこれなかった外に展開していける。そういう外に外に推進しようと今一生懸命やっているので、そういったものに協力していただけると心強いです。池田さんは、ご自身の領域でお客さんに対して南部美人をアピールしてくれているんです。それをやっていただけるのもありがたい。
「南部美人が一番」ってカルティブにはずっと言われ続けてほしいですし、こちらとしてもその期待に応え続けたいです。

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